祖母との思い出が遠くなってゆく。
先日、祖母の命日だった。
祖母の命日が近づくと、父は毎年電話をくれる。
明るくて少しマヌケな音。
その音を聴くと何故か脳内で忍者が走っているイメージが浮かんで来る。
父の一言目は、決まって「元気でやりよるんか?」である。
私も決まって「おお、元気よ、お父さんは?」と、テンプレのような会話をする。
そして毎年、何も変わらない、祖母の亡くなった日の会話をする。
父は昔から私の誕生日などはスルー、そして私の年齢すら曖昧で、とにかく誕生日や記念日などの日にちや数字は全くと言って良い程覚えない。
そんな父が唯一、祖母の亡くなった日だけは覚えている事に毎年驚く。
父の声は上擦っていた。
電話口でも分かる程
父は泣いていた。
祖母が亡くなってから父は涙もろくなった。
もちろん私もだ。
祖母が亡くなって9年、9年の月日が流れた。
私も父と同様、祖母の事を思い出す頻度が少なくなっている。
あんなにも「祖母との日々を忘れるもんか」と思っていても、年々、祖母との日々が遠くなってゆく。
最近、私生活で変化があり、その作業で頭がいっぱいだった。
週末となれば友人が来て酒を飲み、家へ泊まる。
そんな日々を過ごしていた私は、すっかり祖母の事を思い出す事が少なくなっていた。
夢にすら、もう祖母はほとんど出てきてくれない。
そんな時に、父のこの言葉は胸に深く突き刺さった。
父との電話を切った後、なんとなく音楽を聞いた。
私が10代の頃に聞いていた曲ばかりを再生した。
音楽は不思議だ。
昔聞いていた曲を流すと、忘れていたその頃の記憶が蘇る。
思い出した事を忘れないように、すぐに漫画に描いてTwitterに上げた。
日々、薄れて行く祖母との思い出を忘れないように、すぐに漫画にした。
この音楽編の漫画をTwitterで上げた後、「祖母の髪を切った日」の出版でお世話になった担当編集さんからラインが届いた。
とても驚いた。
私も祖母の髪を切った日の漫画を描いている時にデイドリームビリーバーを聴きながら描いていた。
「こんな事ってあるんだな…」と、嬉しかった。
この編集さんと一緒に「祖母の髪を切った日」を出版できて本当に良かったと心から思った。
10代の頃、デイドリームビリーバーは失恋した時の曲だと思っていて
そんな感想を持っていた。
ラブソングが好きではない私は、あまりこの曲に関心を持っていなかった。
その後、大人になり、清志郎さんのインタビューで亡き母へ宛てた曲だと知った。
今では、こんなにも歌詞の内容がしみる曲はない。
デイドリームビリーバーを聴く度に、祖母を思い出す。
日々、祖母の事を考える時間が少なくなっている。
祖母の記憶も年々、曖昧になっている。
「そりゃ9年も経てば思い出す頻度も少なくなるさ、そんなもんだろう」なんて、自分で自分に都合よく言い訳をする。
でもね、思い出す時間が減ってきただけで、おばあちゃんと一緒に過ごした日々を忘れたわけじゃないよ。
だって
これからも 祖母との思い出を ふと 思い出した時に漫画にして行きますので、よろしくお願い致します。