インターネットで人は死なない。
※こちらは私の別ブログからの転載、加筆を加えています。
この思い出を漫画にするのは今でもちょっとキツかったです。という文章を付けてツイートした漫画、物議を醸し出しました。
(漫画の後に回想テキストを綴ってます。)
このゆきちゃんのお誕生日会の漫画はTwitterで、もの凄い反響をよびました。
俗にいう「バズる」というやつです。
いろいろな意見や批判リプライをもらい「インターネット・・・マジこえぇ・・・」という言葉しか出てきませんでした。
こんなかんじで。
批判は主にゆきちゃんへの母親へ集中しましたが、中には私のこのツイートの「この思い出を漫画にするのは今でもちょっとキツかったです」という文章に
「キツいのならわざわざ漫画にして発表するな!死ね!」
・・・・っていう・・・・意見を見かけたり・・・・。
Twitterで昔の悲しかった出来事を描いたら「死ね!」と言われ「ああ、確かに死んだら昔の悲しかった出来事なんか全部忘れて楽になるわ~この人、天才だわ~」という思考が駆け巡り、私これからどうなっちゃうの~~!????
状態でしたが、死んでいません。
ネットで話題になるのはほんの一瞬の出来事で、後は緩やかに時間が過ぎるのを待つだけです。
飽きられるのを待つだけです。
ネットで話題になろうがなるまいが実生活になんの支障もきたさないので、これといって困った事は何もなく「この太巻き美味しいわ~リピート買いしよう・・・しめしめ・・・ええの見つけた・・・」という感じで毎日普通に過ごせています。
確かに、批判された時に全く傷付かなかったかと言われれば嘘になります。
「何も知らないくせに、ただ漫画の一シーンだけで批判しやがって・・・!!お里が知れるぜ!」
なんてラッパーのようにディスって強烈なリリックをキックする悪態をつきたい処ではありますが、そんな発言をした処で誰も得をしません。
とにかくこの時の私は
これです。
知らんがな。
無責任かもしれませんが、とにかく知らんがな。
ゆきちゃんの母親への批判も知らんがな。
私への批判も知らんがな。
その方がそう思うのならそうなんでしょう。
その人の意見は誰にも変えられないのです。
私もありのままにあった事を描いたので、投げっぱなしです。
いろいろな人がいるので、いろいろな意見や批判があって当然だと思います。
同情をかおうとも全く思っていません。
この後もゆきちゃんとは普通に仲良く過ごしていたので、ゆきちゃんの母親がどうだろと子供の社会には何も影響はしませんでした。
例え親が「○○ちゃんとは遊んではいけません!」と言ったところで子供の友情は壊れません。
むしろ「私は○○ちゃんが好きなのに・・・○○ちゃんの事何も知らないくせになんであんな事言うの?」という親への不信感と不満が溜まる一方なのではないでしょうか。
ただ祖母が頭を下げている映像が幼心に強烈に脳裏に焼き付いています。
それだけ、それだけです。
過去の出来事なので、ああでもないこうでもないと言われても何も変わりません。
そして私は死にません。(寿命が来たら死にます。)
誰も死んではいけません。
ありがとうございました。
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よろしくお願いします。